SNOWLOGの日記

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亡くなってから17年。

9月も終わって10月になりましたが

 

今日1日は古今亭志ん朝師の命日である。

 

古今亭志ん朝師匠が亡くなって17年経ちました。

 

享年63というのは若い。

 

晩年の10年間は名古屋の大須演芸場に出演したが

 

客が入らないことで有名な大須演芸場

 

チケットはすぐに完売したそうだ。

 

東京からいくのは大変だったが、半分くらいは聞きに行くことができた。

 

それはよかったとおもう。

 

お兄さんの金原亭馬生師匠も50代での早死にだったが、

 

志ん朝師は40歳くらいですでに名人といわれて

 

もう志ん生になってもいいと作家の都築道夫氏から言われていたが

 

惜しくもはやくなくなった。

 

志ん朝一門になった志ん駒師匠も今年の1月になくなった。

 

柳家小三治師は人間国宝になったが、

 

志ん朝師が生きていれば先に人間国宝になっていたのではないか。

 

非常にうまく、達者な、きれいな、色気のあるきっちりした芸で

 

正確な江戸・東京言葉を自由自在に使いこなせる噺家

 

志ん朝師匠以外にはもういなかった。

 

あまりにきれいなので書割みたいともいわれたが

 

若手四天王(五代目圓楽、八代目橘家円蔵立川談志古今亭志ん朝

年齢順)

の中では人望も実力もナンバーワンだった。

 

最年少だったが一番先に真打になった。

 

「赤めだか」の天才落語家よりも実力はずっとうえで、

 

先に真打になったが、それはお父上の古今亭志ん生師にたいする

 

八代目桂文楽師ら協会幹部の世辞だったのかもしれないが、

 

志ん朝師の実力だったのだろう。

 

落語協会分裂騒動に加わった経験から

 

協会に復帰したあとも

 

協会内の政治的なことからは距離をおいていた。

 

政治家にもなった天才落語家は志ん生師と

 

六代目圓生師を尊敬しているようだが

 

この二人に並ぶ大名人の八代目文楽を評価していないようだ。

 

対立した自分の師匠の小さん師匠の師匠だから

 

というのもあるかもしれないが

 

師匠が自分を推してくれなかった悔しさと

 

大師匠が志ん朝師を真打にするのを決めたからか。

 

そうだとしたら、

 

いずれにしてもだが、生臭いというか野暮な話である。

 

小三治師匠も書割というかきれいな芸だが

 

やはり愛想もなく淡々とばかばかしい噺をするのが

 

噺家らしくていいし、面白い。いやあ柳家らしい。

 

芸についてあれこれ理屈をこねるのは噺家らしくないなあとおもう。

 

古今亭志ん朝 大須演芸場[CDブック]

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