12月14日といえば赤穂事件である。
赤穂事件は歌舞伎などの「忠臣蔵」のもとになった事件である。
「忠臣蔵」はフィクションとして人気がある。
日本人は忠義が好きで、判官贔屓である。
赤穂事件は謎の多い事件である。
50人近くの侍が60歳の老人を殺しに行ったという事件である。
この事件は元禄14年3月14日 (旧暦) 、
吉良上野介吉央に斬りかかった事に端を発する。
斬りかかった理由は、何らかの遺恨が原因らしいが
どのような遺恨は今も不明である。
その場にいた梶川という旗本が浅野を抑えて、
その旗本は後に出世した。
この時、江戸城では幕府が朝廷の使者を
接待している最中だったので、
刃傷沙汰を起こした浅野に対し、
生類憐みの令で知られる五代将軍徳川綱吉は激怒した。
浅野が藩主を務める播州赤穂浅野家は改易、
赤穂城も幕府に明け渡すよう命じた。
それに対して、吉良上野介は処罰されなかった。
喧嘩両成敗の原則に従えば、
吉良も処罰されそうなのだが、
吉良が斬りつけられた際に抜刀しなかったため、
浅野の一方的な暴力行為として
この事件は喧嘩として扱われず、
吉良は処罰がなかったのである。
しかし、浅野のみ切腹を命じられた事に
当然ながら浅野家の家臣は反発した。
筆頭家老である大石内蔵助を中心に対応を協議した。
反発の意思を見せるため、
籠城や切腹も検討されたが、協議の結果は
まずは幕府の申しつけに従い、赤穂城を明け渡す事にした。
この段階では浅野内匠頭の弟である浅野大学を主君に
浅野家の再興の道も構想もあり、
籠城するのは反抗的でよくないとされたのである。
一方、同じ赤穂藩でも江戸にいる家臣には強硬派がおり、
主君の仇である吉良を討ち取ろうとした。。
彼らは吉良邸に討ち入ろうと試みたものの、
吉良邸の厳重警戒で、は吉良を打ち取るのは難しかった 。
ここで不思議だと思うのは、浅野家の江戸家老は
なぜなにも対応していないのだろう?ということである。
強硬派は赤穂へ行き大石内蔵助に籠城をするように説得説したが、
大石はこれに賛同せず、赤穂城は予定通り幕府に明け渡された。
吉良を打ち取ろうとする強硬派の動きが幕府に知られると
反抗的であるとされて浅野家再興ができなくなってしまうので、
浅野家再興を目的とする大石内蔵助は、
強硬派に軽挙妄動は慎むようにと、
強硬派の家臣達と二度の会議を開いている。
しかし、浅野内匠頭の弟である浅野大学の閉門が決まり、
播州浅野家再興の道が事実上閉ざされると、
大石内蔵助や強硬派をはじめとした旧浅野家家臣は
京都で会議を開き、大石内蔵助は吉良邸に討ち入る事を
正式に表明した。
浅野家再興が事実上不可能とわかったときには
身分の高い高禄のものは討ち入りには参加しなかった。
(浅野家は徳川綱吉が亡くなってから再興してはいる。)
身分の低いものは赤穂家がなくなっても町人として
生活していけるので討ち入りには不参加だった。
人間、なんとしても生きてゆかなければならないのである。
大石は仇討ちの意思を同志に確認するため、
事前に作成していた血判を同志達に返してまわり、
血判の受け取りを拒否して仇討ちの意思を
口頭で表明したにしたものだけを
討ち入りの同志として認めた。
その後、大石は江戸に下り、吉良邸に討ち入るために
深川で会議を開いた。
吉良は屋敷を本所に移した。
当時の本所は場末である。
元禄15年12月14日(旧暦)、
赤穂浪士は吉良邸に侵入し、
吉良上野介を討ちとった。
この時討ち入りに参加した人数は大石以下47人である
とされている。
吉良の家臣は100人ほどいたが、
応戦したものは半数程度であった。
47人は吉良邸から引き揚げて、
引き上げの最中には、47人のうち一人の
寺坂吉右衛門がどこかに消えている。
寺坂を除いた46人は、吉良邸討ち入りを幕府に報告し、
この事件は謎が多い。
浅野の吉良への遺恨が何であったのかは今も謎である。
塩の生産と販売を巡る争いか、高家筆頭の吉良が浅野から賄賂や
饗宴の費用が少なかったから、執拗にいじめて、
それで浅野はキレてしまったという説もある。
浅野はストレスによって精神疾患を患っていたという説もある。
短気で尊大な性格であったともいわれる。
何をしていたのか? 討ち入りには参加しないで、
面会させてもらえなかった。
47人のうちの一人の寺坂吉右衛門が消えた理由も謎である。
身分が士分ではなかったので逃げたという説がある。
最初から討ち入りに参加していなかったという説もある。
密命をおびていたという説もある。
討ち入りに関しても謎で、仇討ちではなく、私的な報復であるという見方が
つよかった。
仇討ちとは親族を殺されたものが、殺した相手にするものである。
浅野を罰したのは幕府であるから、
やるなら幕府へ討ち入り(やらないとはおもうが)なり、
抗議をすればいいと思う。
大石は浅野家の再興と討ち入りを同時に考えていたようである。
浅野家の再興が難しくなったので、世論に訴える討ち入りを行ったのでは
なかろうか?世論に訴えれば歴史に名が残る、浅野家再興も
できるかもしれないと。
実際、赤穂浪士の討ち入りは歴史に残っている。
最初に日本人は忠義と判官びいきが好きだと書いたが
日本人が好きなもののひとつに、一か八かもある。
大石内蔵助は一か八かの賭けにでたのではないだろうか。
現在の価値観から300年前の事件を処断するのも
へんなのかもしれないが、いちばん悪いのは浅野内匠頭であり、
親族や家臣のことを考えない殿様である。
被害者は親族と失業した家臣と、
やつあたりで殺された吉良上野介である。
吉良の場合、なぜか養子までもが後に処分されている。
合理的な判断をした有能な家老の大野九郎兵衛は
フィクションの中では不忠義ものとして非難されているが
浅野家が三代目にして潤ったのは大野の経済政策のおかげである。
上司がダメだと部下は大変である、非常時に活躍するのが
大石内蔵助のような家臣である。
赤穂事件のフィクションは浄瑠璃、歌舞伎、映画は有名なものが多い。
作家の山田風太郎は
『人間臨終図鑑』の中で、「なぜわしがこんな目に逢わねばならんのだ」
と殺される前の吉良の心情を描いている。
菓子屋の跡取りの視点から忠臣蔵のパロディとして
赤穂事件を描いている。
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