SNOWLOGの日記

静かに地道に暮すことを目指します。X(旧Twitter)もやっています。

著名人の言説が定言命法化するという現象。



 りん言汗の如くで

著名人が何か発信すると

それが定言命法化してしまうことがある。

発せられたことばはあっというまに

拡散するので

とめようもない。


 川崎の事件を受けて

噺家

「死ぬのなら一人で死んでほしい」という

言葉が

問題になっているが、

 「人を巻き込むくらいなら、

 自分一人で死んだほうがいい」という

ことだろう。


 この言葉に

一人で引きこもっている人を

さらに追い込むと言いだす人がいる。

これもごもっともなことだ。


 川崎の事件の容疑者は引きこもり傾向があった

という。


 噺家、医師、教育者、コメンテーター

みんな自分の立場でしか発言しないので

いうことは違ってくる。


 あまりムキになることもないが

 生命について著名な人が発言するのは

影響力がある。


 発言はだんだん純化されていくか

ノイズが入ってくるかのどちらかである。

ネットに拡散してノイズだらけになる。


 また、純化したとしても漠然とした

カントの定言命法のようになるか

である。

 定言命法は反論が難しいので

著名な人がド正論をいうと

反論しにくい。

汝の隣人を愛せみたいなものである。


 大きなフレームワークをつくったは

いいのだが、

その中身は何もないみたいなものである。


 カントは哲学者ではなく

神学者であるという批判は

フリードリヒ・ニーチェ

している。

 何も例外を認めないのなら

すべて例外をみとめるのと同じでという

ヘーゲルの批判もある。


 西洋哲学はカントでつまずく、

大陸合理論も経験論もカントにはいっていって

観念論がカントから流れてくるのである。

正義論とかほぼ何がなんだかわからないのである。


 柄谷行人の『探究』や『トランスクリティーク

みたいなものである。

 読んで何か感心するのかというかというと

そういうわけでもない。

専門家はわかっているのだろうが。


 カント本人も自覚があったのが

後にちょっと例外を認めてる

ことを言いだした。


 今もカントはサムシングなのだろう。

7月の連休に『純粋理性批判』でも読もうか

(という酔狂な人はあまりいないでしょうね。)

ヘーゲルの『精神現象学』(河出の訳は読みにくかった。)

ハイデガーの『存在と時間

とともに西洋哲学三大難解書の一冊だった。

アリストテレスの『形而上学』を

 挙げる方もいらっしゃる。)



最後まで読んでいただいて

ありがとうございます。





仮借なき批判をしている。
訳はくだけていて読みやすい。
仏教はほめている。

キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』 (講談社+α新書)

キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』 (講談社+α新書)


純粋理性批判』の解説書。

カントの純粋理性批判 (1974年)

カントの純粋理性批判 (1974年)


岩波文庫哲学書思想書の翻訳が
昭和期の日本語を
混乱させたという説はある。

純粋理性批判 上中下巻セット (岩波文庫)

純粋理性批判 上中下巻セット (岩波文庫)