1997年、平成9年であるが、
2月19日に友人と話しながら
元麻布付近を歩いていたら
中国大使館の前に
人が大勢集まっていた。
何事かと思って
その大勢の人のひとりに
きいてみたら
中国の最高指導者の鄧小平氏が
死去したのだという。
あれから22年経ったのだった。
1989年の(第二次)天安門事件で
若い人たちを弾圧したのは
鄧小平氏らである。
ここでは日本で報道されていたものだけで
記述してみる。
メディアの報道も虚実、玉石混合であった。
いまもそうだろう。
天安門事件では多くの人が
亡くなったとされている。
戦車に向かって一人で立っている人の
映像が衝撃的であった。
数百人であっても
数百万人であっても大勢であった。
若い人たちが暴れるのは嫌いだそうである。
天安門事件のときも、氏は
「中国には何億と人がいるのだから
100万人くらい死んでもなんともない。」
と放言したとも伝えられた。
年少の国民が暴走して
鄧小平氏自身が迫害されてしまったからである。
「若い君らが造反するのは
理由が有る、
だからじゃんじゃん破壊しろ。」
と煽った、
最後は毛沢東自身も
若者たちをコントロール
できなくなった。
(毛沢東は政治的才能は
周恩来や鄧小平に劣るのだが
破壊するのは上手い。
政治家というよりも
革命家であった。)
ほとんど殺されたも同然である。
現代史において、一国の指導者が自国民から
これほど酷い目に遭わされたことも
そうそうないとおもう。
毛沢東の死去後に、
主席はいちおう華国鋒であったが、
(ソ連でベリヤが逮捕されたように)
実質的な後継者の四人組が逮捕された
これ以降に
劉少奇氏の名誉は回復された。
病気で亡くなっている。
周恩来氏は
自身と毛沢東が死んだあとのことを
考えて、自身の後継者を
巧みに要職に配置しておいた。
鄧小平氏は軍を握っていたので
実権を握ることができた。
鄧小平氏以降の
中国のトップは
文革のような内乱が起きないように
国民の言論や行動を弾圧する。
インターネットも「金盾」という
検閲システムがある。
「金盾」のファイヤーウォール機能には
Great Wallをなぞって
Great Firewallといわれる。
「万里の長城」に対して
「万里のファイヤーウォール」とでも
訳するのか。
文革を経験した中国は
自国民が、特に若い人たちが
暴れるのはいやなのである。
それで外からの情報を遮断している。
現代の中国と韓国のトップをみると
都会と地方という見方もできる。
都会で教育受けた人たちは
日本や周辺国の影響を知っている。
しかし、地方にいた人は
反日、反米のままでである。
実は周辺国の影響力を
わかっているのかもしれないが
国内向けに
それを通すしかないのである。
自分の支持者向けにのみ
ひたすら政策を語る
米国の大統領とも
似ている。
違いは情報を
選択できるかそうでないかである。
本日も明るい話ではなかったです。
最後まで読んでいただいて
ありがとうございます。
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