光と風と猫。

静かに暮すことを目指します、ブログ名は中島敦の小説から。X(旧Twitter)もやっています。

玄倉川水難事故から20年。




 台風10号が

西日本に上陸するようです。


 平成11(1999)年の

玄倉川水難事故から

20年たちました。
  
 横浜市内の産廃処理業者

の従業員の家族が

川の中州でキャンプしていましたが

 雨量が多く増水したので

玄倉ダムが放流することになって

放流してしまい

中州にキャンプしていた

家族18人が流されて

13人が亡くなるという大惨事でした。


 前日の8月13日の午後に

ダム職員が増水して水位上昇の

危険があるので

避難するように

マイクで促したが

中州にキャンプしていた家族は

これを無視したようでした。


 「中州」には植物がなくて

水がここまでくるということが

わかっていました。


 結果、18人中13人が

亡くなる事故となってしまいました。

本日8月14日で20年になります。


 1999年8月14日の午前中、

雨は前日の13日昼ごろから降り始め、

山北町丹沢湖周辺では14日の

午後0時から15日の

午前0時までの総雨量が271ミリと、

1日半だけで通常の

1カ月の80%の雨が降りました。


 中州に残っているグループがあるというので

消防組合の部隊が救助に向かいました。

救助に向かった人たちは

中州と聞いて陸地があるのだと考えました。

 しかし、丹沢湖への入り口にある玄倉川橋から

玄倉川を2KMほどさかのぼった現場には、

 (メディアも報道しましたが、)

衝撃的な映像がありました。

 雨が降る川の中に、18人の一家が見えました。

 岸から川の中の一家までの距離は70mくらい。

救助は困難を極めました。

 中州はすでに水没し、

大人の膝ぐらいまで水位が上がっていました。

 男性数人が上流で流れをガードし、

残りの人たちが互いの体をつかんで

流されないようにしていました。

子ども6人を含む18人。

懸命の救助活動も

むなしく

その後、中州に取り残されていた家族は

濁流に流されていきました。


 前日に注意したときに

この家族も避難していれば

命は助かったと思います。


 年配の人たちはすぐさま

避難したようです。

やはり亀の甲よりも年の功ですね。


 人災か天災か事故か

そうではないのかという

議論もありました。

 しかし、二次災害の恐れも

ありました。

 救助に向かった人たちは

できる限りのことを

やったと考えられます。


 亡くなった方々の冥福を

祈ります。




最後までよんでいただいて

ありがとうございます。