光と風と猫。

静かに暮すことを目指します、ブログ名は中島敦の小説から。X(旧Twitter)もやっています。

トロフィーの逆について考えてみる。




  昔は悪かったとか

高校時代はモテたとか

 20代までは男が寄ってきたとか

営業でトップセールスだったとか

自分の企画はいつも結果を出してきたとか

 その昔の自分の時代をトロフィーにしている

人をSNSなどでみかけますが

 その逆もいて

小学校の頃は辛かったとか

その頃のつらさを今も引きづっているとか

延々とSNSで発信している人がいます。

 トロフィー自慢は視ていて

痛いものがあります。


 逆トロフィーは痛々しいものがあります。

なぜそこまで

辛い過去を語りたがるのか?


 決定論的に

前提がなければ結果もなしと

私は考えます。

 ちょっとズレますが

「悪性格立証禁止の法理の例外」というのが

ありまして

これは日本の司法では使われませんが

アメリカでは希に使われることがあります。

 「悪性格立証禁止の法理の例外」というのは

端的に言いますと

昔悪かったやつは今も悪いんだ理論は

ダメですということです。

つまり子供のころ動物虐待やいじめを行っていた子は

大人になっても悪事をはたらくだろう

ということです。

そんなので有罪にはできない。


 凶悪事件がおきると

容疑者のバックグラウンドが

報道されますよね。

あれは裁判員裁判などに影響与えそうです。

 これみたいなもので

逆トロフィーの人は

昔悲惨だったから今も悲惨なのだと

ご自身が思い込んでいるのではないでしょうか?

 しかし実際にいままで悲惨な状態に

置かれているのかもしれません。

 子供のころ苦労して

成長しても上手くいかなくて

苦しんでいる人が

子ども時代のつらかったことを

延々とSNSで発信しつづけているのです。


 私はSNSでのトロフィー自慢は

好意的にみてはいなくて

逆トロフィーの人たちのほうが気になりますね。

 幼少時のトラウマを未だに抱えている。

そしてそのトラウマを与えたのは

長じてトロフィー持つようになったやつらだったんじゃないか

と考えます。

 トロフィー自慢とトラウマ事件の発信は

なにか因果関係があるのでないかと

疑っています。

 ある脳科学者によると

ネットで悪口を言う人は

悪口依存症なのだそうです。

 公憤や義憤から批判しているのではないと

いうことです。

 逆トロフィーのSNSでの発信も

アディクションであるのかもしれません。