今から100年前の1918年に、
エカテリンブルクでロシアの皇帝ニコライ2世とその妻、
そして4人の娘オリガ、タチアナ、マリヤ、アナスタシアと
皇太子アレクセイは銃殺されたとされている。
今年は追悼の行事が行われている。
皇帝一家と一緒に侍医やメイドさんや料理人までもが銃殺された。
皇帝一家の遺体はどこに埋葬したのか遺棄されたのか、
長い間謎のままだった。
財務大臣ヴィッテの改革により、ニコライ2世のロシアは
経済が発展しつつあった。工業や農業が発達した。。
しかし、この経済成長においても、市民の暮らしが改善することはなかった。
市民は政治に参加することもできず、組合もなかった。
国内では市民の不満も大きくなった。
日露戦争が終わったが、日本に大いに妥協せざるえなかった
部分があった。日本も妥協したが。
そして戦争中も戦後も、もはやロシア人にとってはロシアのトップが
ロシア人に対する最大の脅威になていったのであった。
ニコライ2世の退位後は皇帝一家はシベリアの都市に送られることになった。
1918年に白軍がニコライ2世一家を連れ去るとの噂を受け、
一家はエカテリンブルクへ移された。
エカテリンブルクでは地元の人の邸に監禁された。
1918年7月に
監禁されていた邸の警備司令官は
皇帝一家を邸の半地下の部屋に連れて行き、
警備司令官は銃殺隊に皇帝一家を殺害させた。
一家の遺体はどこかへ運ばれた。
これが地元の者が独断でやったのか、
それとも中央がやらせたかはいまだになぞである。
ニコライ二世の長女になりすましたドイツ人女性
が現れて、皇帝一家はまだ生きているのかもしれないと
いわれた。
しかし、1979年に皇帝一家の遺骨が発見され、
1991年にDNA鑑定の結果、
遺骨は皇帝一家の一員のものであることが確認された。
アレクセイ皇子とマリヤの遺骨は2007年に発見され、
これらの遺骨もDNA鑑定によって確認された。
ニコライ二世は政治的才能に恵まれてはいなかったが
よき家庭人ではあった。
皇帝になっていなければ家庭人として
平和に暮らしたと思う。
ロシア国内の状況、戦争に敗れ、外交は失敗だった。
皇帝一家は状況の犠牲者であるといえる。
日本の大津事件で切り付けられたのは
このニコライ2世(皇太子時代)である。
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