SNOWLOGの日記

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三億円強奪事件から50年。

  今日で昭和43年(1968年)の三億円強奪事件から

50年経った。

事件はすでに刑事民事とも時効である。

昭和史に名を残す、未解決事件である。

 事件は府中市の府中刑務所の近くで起きた。

最近は事件現場のツアーもやっているようである。

風化させないためと商売だろう。


 事件の概要は、以下である。 

この事件の数か月前には、多摩農協や日本信託銀行への脅迫が相次いだ。

これは本当に脅迫事件であるかもしれないが、

三億円強奪事件へのデモというか練習だったと考えられている

三つの事件の脅迫状の筆跡が似ていたので

同一犯であるとされた。

 強奪の実行は、12月10日午前に、日本信託銀行から

東芝府中工場従業員へのボーナス約3億円を

運んだ車が、府中刑務所の裏を

通行中に、白バイ隊員に変装した男が車に近づき、

日本信託銀行巣鴨支店の支店長宅が爆破された

この車にもダイナマイトがしかけられている

という連絡があったので、調べさせてくれ」

といい、車の下に潜り込み発煙筒を点火させて

爆弾があって爆発するので、同車の4人の銀行員には

逃げるように命じ、偽白バイ隊員は車を運転して逃走した。

「白バイ」は残していった。


  犯人は大胆かつ巧妙に、怪我人も死人も出さずに

現金輸送車と現金約3億円を強奪した。

国分寺市内の林の中で別の車に乗り換えて

逃走した。

この乗り換えた車は事件の4か月後に

小金井市内で発見された。

三台目の盗難車もあるようで、

犯人はこの車で23区内に逃げたようである。

現金輸送車は国分寺市内の林の中に乗り捨ててあった。

また、府中市内で、偽白バイを予めカバーをかけて

かくしておいたこともわかった。

偽白バイも盗難車で、複数の盗難車からこの「白バイ」

を作ったらしい。


  遺留品は120点以上、事件を目撃者した人も

4人の行員のほかに自衛隊員や府中刑務所の職員がいたので

事件は早期に解決するものと思われた。

しかし、現在まで犯人も盗まれたお金もみつかっていない。

墓地のなかまで探したが、3億円はみつかっていない。


 犯人として、立川市内の非行少年グループが

疑われたが、そのグループのうちの少年Aは

父親が警官で白バイ隊員であった。

白バイには詳しい。

この少年はのちに家にあった毒物を飲んで亡くなった。

自殺かそれ以外の原因の死かは不明である。


 立川グループの別の少年Bは時効直前に

逮捕されたが、釈放された。

血液型と筆跡が合わなかった。


 脅迫状に張ってあった切手から

唾液を使って貼ったとわかり、血液型はB型と判明している。

亡くなった少年Aの血液型はA型であった。

また脅迫状の筆跡と少年の筆跡は違った。

4人の行員に死んだ少年の顔をみさせたが、

似ている、よく似ているという人もいた。

この証言はのちに曖昧な証言になる。


 ちなみに三億円事件ではモンタージュ写真が有名であるが

このモンタージュ写真は死んだ少年に似た人の

写真をつかって作成したもので、

その人は傷害事件を起こしたが、三億円事件

起きる前には亡くなっていた。


 一見簡単そうな事件だが、未解決事件となった。

原因は様々であるが、遺留品が大量生産された時代背景も

あると思う。

単独犯か複数犯かもわからない。


 
  ここからは私見を述べます。あくまで私見です。

区別のために常体ではなくなります。

 
 犯人は複数、あるいは強奪事件を計画したものは

強奪事件の実行犯ではないというのがわたしの考えです。

 多摩農協に脅迫電話をかけてきたものは

ひじょうに落ち着いた感じで、電話に出た人は、

「この脅迫者は大人ではないか?」とおもったそうです。

このことから脅迫状を書いたり電話で脅迫したのは

大人であると考えられます。

脅迫状の書き方にも特徴があった。


 また、昭和43年の3億円というのは

かなりの高額(今でもそうですが)で、現在なら

10億から30億円くらいの価値があると

考えられます。

この金額は、大人はともかく非行少年などに

とってはリアリティがないのではないだろうかと

わたしは思います。

たとえば、車を盗んでいた非行少年グループが

現金を奪うのなら、

せいぜい数十万か多くても数百万ではないでしょうか。


 金融機関への脅迫は東芝(当時は東京芝浦電気

の給料日が狙われている点と東芝府中工場の従業員への

ボーナスが奪われたことから、

東芝の関係者、あるいは元関係者、あるいは

家族に東芝の関係者がいるもの・いたもの

が犯人のグループにいたと考えられます。

現金輸送のルートを予め知らないと強奪はできない

ということも関係者か元関係者の事件への関与を疑わせます。


 さらに、1960年代に車を持つのは

けっこうな贅沢であると思います。

車の運転ができなければ事件は無理なので

車を所有していたか、仕事で運転して乗っているものが

犯人です。

駐車スペースも必要です。

車やバイクを隠したり、改造するスペースのある住宅を持つ人も

限られると思うのです。

自前の工場や施設などがあるのなら別ですが。

  単独犯が自宅でバイク改造していたら、

家族には怪しまれます。

 23区内に逃げたので、逃げた一人は単身者

であるとも考えられますが。

 わたしは、大人が犯行を計画して、

二人くらいの若者が犯行を実行した

のではないかと考えています。

犯行を計画したもの、犯行を実行したもの、

実行犯をサポートしたもの

少なくとも三人はいたと考えられますね。


追記

 単独犯説も根強くある。

 単独犯の主張は

 1、金額が大きいので複数犯なら仲間割れを起こす。

 2、複数犯なら、事件が発覚する可能性が高くなる。

 3、偽バイクや逃走用の車を周到に
  
  用意したのは仲間がいなかったからだ。

 である。

 これに反駁してみる。

 1、は金銭目的ではない可能性がある。
 
  執拗に東芝への給料やボーナスを狙うのは
  
  報復である可能性がある。
  
  お金目当てなら、お金を換金することもできるはずである。

  また、使った形跡がない。

 2、複数犯なら犯行が発覚しやすいというのも

  必ずしもそういえないのではないか。

  西日本の事件であるが、未解決事件の
  
  企業脅迫の事件にグリコ・森永事件がある。

  犯人は複数と思われるが、いまだに未解決である。

  複数犯でもっとも結束のつよい集団は家族である。

  三億円事件の犯人も家族なみに結束が強かったのではないだろうか。

 3、複数犯ならば、計画をするもの、実行役、
  
  実行犯のサポート役がいれば犯行は用意になる。

 もちろん単独犯であった可能性も否定できないのではあるが。

三億円事件

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大捜査3億円事件 (1975年)

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現代虚人列伝 (1979年)

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