SNOWLOGの日記

静かに地道に暮すことを目指します。X(旧Twitter)もやっています。

葛西善蔵と嘉村磯多の作品を読んだら憂鬱になった。

  3年ほどまえに阿佐ヶ谷文士について調べ物を

していた。資料を読んでいるうちに

太宰治の自殺の原因などもあって

憂鬱になってしまった。

 以前(だいぶ前)「国文学 解釈と鑑賞」という雑誌があるが

(今もあるのだろうか?)

作家と自殺を特集した号を読んで、自殺した作家は自殺が出てくる

作品を多く描いているという統計を読んで、これまた気分が落ち込んだ。

 最近、西村賢太の最後を考えて、私小説作品を読んでみようと思い

古いところでと思い、葛西善蔵と嘉村磯多の作品を読んだ。

 私小説であるので似たような内容の作品が多い。

ひたすら貧乏、病気、女(妻、愛人)、(酒)である。

嘉村の作品は文体にメリハリがあるのでまだ読みやすいのだが

葛西の作品は、だらだらと愚痴のような文章が続く。

そういうところが散文詩のようで評価されているのかもしれない。

 「湖畔手記」などは名作といわれるが、

ひたすら困窮と病気と酒と女の話である。

長くはないが、途中で読むのを休んでから、また読んだ。

特に感興はない。他の作品も似たようなものである。

葛西晩年の「酔狂者の独白」は岩波文庫で読んだ記憶があるが

内容は忘れてしまった。

 作家・評論家の正宗白鳥は葛西の短編を読んで

「ウンザリした」といっている。

読んだ人のほぼ大半の人はそうおもうのではないか?

 河出文庫か福武文庫で随想集が出ていたが

あの随想集はちょっと面白かったように思う。

 愚痴のような内容なのではあるが、ユーモアがあるのである。

高見順の『昭和文学盛衰史』にも

葛西が小心な人物として登場するが、

 高見は葛西と太宰治が似ているのではないかと推察している。

それは出身地が同じということもあるが、性格的にも

文学的にも似ているということらしい。

また葛西善蔵や嘉村磯多の作品を読み返すことがあるか

どうかはわからない。

 二人とも自殺した作家ではないが、

読むのはあまり精神衛生上よくないような気がする。

 知り合いで反復性うつ病アルコール依存症を患う女性は

太宰治の熱狂的なファンである。

(女性は太宰を徹底的に拒否するか熱狂するかに分かれる。

 この現象は研究してみる価値があるのではないだろうか?)

うつ病には自殺した作家の作品はあまりよくないとおもうのだが


 こういうどうでもいいような文章は筆がすすむ。

よくない傾向かもしれない。

 最後まで読んでいただいて

ありがとうございます。